リヨン日本人会短歌クラブ
by リヲンのつばさ
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第十一回歌会報告(2013年5月6日)

みなさま、こんにちは。

5月の歌会報告です。

今月も4月に引き続き、お世話役&司会を務めたI.M.さんにコメントの執筆をして
いただきました。どうもありがとうございます。

みなさまどうぞご鑑賞ください。

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二〇一三年 五月 六日(月) 「リヲンのつばさ」歌会作品集

題詠 『おる(織る、折る、居る)』

第一席(四票)
 残雪の中央山塊ふり仰ぎ確かめる心未だ折れずと          N.S.
 どっしりとした雄大な自然に、心が荒み今にも折れそうな自分を委ね、「まだ大丈夫、頑張ろう!」と、気持ちを奮い立たせようとしているところに好感を得た読者の票が集まった。が、わかりやすすぎて少し物足りない、ミステリー的な要素や具体的な動作が入ったら、もう少し鮮やかな歌になったのでは、という意見もあった。

第二席(三票)
 うす明かりおしゃぶりだけが小刻みに動きて生きて居る(おる)を確かめ  N.M.
 作者解説:「5月のテーマ「おる」が難しかったです。子育てのワンシーンです。皆様もご経験があるのではないかと思いますが,すやすや寝る我が子が生きているかどうか確かめるために,耳を澄まして寝息を聞いたり,冷たくなっていないか確認したり。楽しい時間です。」
 赤ん坊という言葉を使わずに、誰にでもその情景を思い起こさせることができる歌。特に、『小刻みに動くおしゃぶり』という言葉が生きている、との声が多く上がった。ただ、下の句の「居る」を「おる」と読ませたところは、若干無理があったのでは、という意見も少なくなかった。


第三席(二票

 色あせぬ 未来織りなす今あらば折節の花のごとかがよへ        M.M.
 織ると折るの、今回の題詠の「おる」を二種織り交ぜ詠ったところに作者の巧みさを見る。そこに並ぶ単語ひとつひとつは美しく、字面もよいのだが、歌の意味が良くわからなくて、あまり共感できなかった、という意見が多く出た。歌を締めくくる、「輝け」の意の「かがよへ」という単語に馴染みがなかったために、ぴんとこなかった読者も少なくなかったようだ。また、冒頭の「色あせぬ」の後が一字空いていることから、「色があせてしまった」という終止形で歌を解釈しようとして難儀した読者もいた。都都逸調という評価も。作者は「色のあせない『未来』そして『今』」というふたつの時にかかるように読ませたかったのかもしれないが、それがうまく伝わらなかった。短歌は説明しすぎてもいけないし、かと言って読み手にヒントを与えられないものは共感を呼ばない。短歌詠草の難しさを歌会参加者にあらためて認識させた歌であった。
 
 遅かりし春といえども満開の つつじ織りなす花の絨毯 Tsu.H.
 下の句の「つつじ織りなす花の絨毯」という表現の美しさが秀逸なだけに、歌に作者の立ち位置や心が見えず、歌に展開がないことが残念。 上の句が、晩春以外のことを詠んでいたら、もっと下の句の表現が生きてきたのでは、という意見も。

 どうしてもボクはできない たまご食え青竹折れと迫る父あり
       I.I.
 口語調で詠っているのがユニークな歌。折ろうとしても、そうたやすく折れるわけがない青竹。自分にとっては不可能であることをもやれと叱咤する父。父親に対する畏怖や被害妄想がそこに見え隠れする。作者は幼い頃に父に覚えた感情を歌にしたのか。それとも、父になった自分が「そういう父には自分はなれない」と詠んだのか。一方、「卵も食べて滋養強壮、青竹も折れるような男になれ!」と父が息子を鼓舞していると読んだ評者もいた。いろんな読み方ができる秀作。

 「ぴったりと端をあわせて折るんだよ」しかくさんかくおててにえくぼ   I.M.
 説明を一切せず平凡なことを言いながらも、上の句をかぎ括弧でくくり『親』、下の句をひらがなだけにして『子』を詠うことで、イメージを膨らませる。手にえくぼというのもかわいらしい。俵万智的とも。しかし、「おる」という言葉が先行し、無理やり残りの言葉を持ってきて並べ立てただけような観も否めず。

 夏真昼蜜の流るる工房にひとり女の織るタピスリー  H.T.
 歌のイメージがミステリアスで、幻想的な雰囲気が良く捉えられている。エキゾチックという声も。しかし、どこかで見たことがあるような歌にも読めるという評価もあった。「蜜の流るる」とは、女性の汗の香の漂いを譬えているのだろうか。興味深かったのが、歌の冒頭3文字を、「なつまひる」ではなく、つい「まなつひる」と読んでしまう読者が歌会に複数いたこと。その少ない言葉の並び替えで歌の雰囲気がずいぶん変化する。下の句で、織っている女性の様子やタピスリーを修飾する具体的な言葉が入った方が良かったのでは、という意見もあった。


佳作
 カーペット縦糸横糸織りなすは人生模様と例えられし       
作者解説:「人生はペルシャ絨毯の模様のごとしーとある小説の中に書かれているので。縦糸の寿命の上に横糸の各々の出来事が折り合わされ各自の人生模様が現れると…」
 まず、歌の出だし、読者をひきつける一番大切な言葉に「カーペット」というあまり詩的とは言えない単語をもってきてしまったことが、残念。説明を全てしてしまっているために、読者にそれ以上のことを想像させない。見聞きしたこと、自分の体験・思いをそのまま定型にあてはめるのではなく、具体的なことをなにか少しだけ上げつつ、歌のイメージを具象化する努力を作者に期待したい。
 

 千代紙を 折る幼き手 もどかしくも おりておりしてアブストラクト
 作者解説:「孫と千代紙を折ったのですが 孫はただただ折る行為に喜びを感じて折っていました。」
 歌の本意がわからず、共感できなかった、という意見が多く出た。歌会のほとんどの参加者は、下の句終わりの単語「アブストラクト」を文字通り「抽象的」と読み、「それならば、上の句終わりの『もどかしくも』の最後の『も』は不要では?」という議論になったが、ひとりが、この『アブストラクト』は、『抽象芸術』という意味ではないか、と指摘。確かに、「幼い子がもどかしい手つきでめちゃくちゃに折っているうちに、抽象芸術ができあがった」というように読めば、印象も変わる。この歌も、読者へ与えるヒントに欠けていたために、評価がいまひとつであった作品。



自由詠

第一席(五票)
 いくつかの許し来たこと石段によろめく父に添える母の手        I.M.
 若い頃はワンマンで、母を泣かせるような過ちも犯してきた父。今、年老いて足元もおぼつかなくなっている父を、すべて許し手助けする母。日常のワンシーンを汲み取りながらも、深く、人情を感じさせる歌。冒頭の「いくつかの許し来たこと」という言葉に惹かれた、という読者が多く、自由詠の第一席を得た。

第二席(四票)
 蟹を食う 癌を告げし父親はけたたましくも殻噛み砕き          I.I.
 癌の宣告を受けた父が、それを子である作者に伝えながら、硬い蟹の殻を噛み砕き、空元気を装い、けたたましい音を立て喰らいついている。癌細胞が増殖していく様子を蟹に投影させつつ、「か」行の音を散らばらせることで、歌の音にもけたたましさを表した作者の技量に参加者一同脱帽。

第三席(二票
 花冷えのオーベルニュ次の春はどの国かチーズ街道ゆらゆら走る      N.S.
 長閑な春のオーベルニュをのんびり旅しながら、来年の春には自分はどこにいるのだろう、と思いを馳せる作者。下の句の「ゆらゆら走る」に、La Cucaracha 風の牧歌的な情景を想像した読者もいれば、先行き不安な様子を読んだ読者もいた。ただ、上の句の字余りにひっかかりを覚えた読者も少なくなかったようだ。


第四席(一票)

 ときにながくときにみじかく蒼穹をなだるる白き霧のカーテン       H.T.
 時間の流れを感じる綺麗な歌。上の句前半をひらがなだけにしたことで、この歌の主役である『蒼穹』という言葉が生きてくる。イメージだけを追いかけていくところが良い、という意見がある一方で、作者の立ち位置がわからない、きれいにまとめすぎ、というような声もあった。

 春のあめ若葉の急く(せく)をなだめつつ黄(きい)の花ふれるわれつつみゐて
  M.M.
 綺麗な歌ではあるのだが、括弧書きで言葉の読みを説明している箇所も手伝い、ストレートに意が伝わらない、と評した参加者が少なくなかった。若干技巧に走りすぎたか。

 細き肩 かたくかたく凝って痛々し、母よ弱気になりませぬよう  Tsu.H.
 老いた母を労わる子の歌。石川啄木の「たはむれ(戯れ)に母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩歩まず 」を彷彿した読者もいたようだ。下の句の評価は高かったものの、上の句にもう少し工夫が欲しかったとの声が少なからず聞こえた。あまりに優等生的で、つっこんだ本音がそこに見えれば好感が持てたであろう、という意見も。
 
 洋行す期待と不安に揺れ動き導きたまえと星に願う 
       G.N.
 作者解説:「昔、洋行する場合、船旅で揺れながらの長旅また船も星の導きー羅針盤ーにより進路を進めていたという事で」
 子が洋行するときの母の気持ちを素直に詠んだのであろう。旅先から詠草を寄稿した作者が、かつて航海が生死を覚悟するものだった時代に思いを馳せたのかもしれない。しかしながら、説明が過ぎているために、読者にそれ以上のことを連想させることを難しくしてしまっている。


佳作
 春日あび かたき新葉 ふくらみて 色づきて うれしささそう     
 作者解説:「寒さが長かったので 日々に新芽が成長して緑の色になって来てやっと春を感じています。
 新芽の緑が日に日に濃く、大きくなってきている様子を見ている作者。ただ、『新芽』を『新葉』と表現してしまったために、その硬い小さな芽が膨らみながら開いていくというイメージを、そこに思い浮かべることができなかった読者は少なくなかったようだ。

葉桜は桜餅ねとつぶやいた君の背中で黒髪ゆれて          
 作者解説:「高校の時,散り始めて葉桜になってしまった桜は惨めだと思っていましたが,友達から,葉桜って桜餅みたいできれいね,といわれ,なるほどなーと思いました。
 それで,僕も葉桜の見方が変わり,3分咲き,五分咲き,満開,そして,葉桜とそれぞれのきれいな次期を楽しめるようになりました。」
 葉桜を桜餅とした表現はユニークなのだが、それが、下の句の「背中でゆれる黒髪」とどうもマッチしないのでは、という声が多く聞こえた。あるいは、作者はそのミスマッチの効果を狙ったのか?

ポーズとる男(お)の子の肩に舞い降りぬ八重の花びら喜び運ぶ      
 作者解説:「秋に『木漏れ日がまだらに照らす男の子追う優しき視線に笑顔振り向き」と、知り合いの家族の様子を読みましたが、同じ家族が公園の桜の木の前で写真を撮っているところに出会いました。聞きますと、毎年この桜が満開になる頃、撮影しているとのことです。なんとも微笑ましい温かい情景でした。」
 上の句で十分に微笑ましい様子が伝わるこの歌。それだけに、下の句の最後に、「喜び運ぶ」という言葉で微笑ましさを敢えて説明してしまったことが残念。忙しい限られた時間の中で詠草してくれた作者、推敲の時間があまりなかったのかもしれない。  

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I.M.さん、今月も詳しいコメントをありがとうございました。

ここでみなさんに報告とお願いです。

4月にパリから、心の花会員のH.T.さんに参加いただきまして、率直な感想を頂戴しました。

「詠草に関して、字開けはやめましょう」

意図があって開ける場合はもちろんかまいませんが、そうでない場合は
開ける必要はないので「なんとなく五七五七七で開けてる」という方は
ぜひ続けて詠んでみてください。歌のイメージ、雰囲気も変わってきます。

さて、6月の歌会の題詠は「さす」です。
そして今回も特別ゲストをお招きしています。
みなさま楽しみにしていてくださいね。

M.M.
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by tankalyon | 2013-05-30 21:09 | 歌会報告