リヨン日本人会短歌クラブ
by リヲンのつばさ
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第10回歌会報告(2013年4月8日) 

みなさま、ご無沙汰しています。

リヨンに春がなかなか来なかったからではありませんが、春の歌会報告が遅くなり
大変申し訳ありません。

さっそく4月の歌会報告をさせていただきます。

今回執筆頂いたのは、司会お世話役を務めたI.M.さんです。
どうもありがとうございました。

みなさまどうぞご鑑賞ください。

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二〇一三年四月八日(月) 「リヲンのつばさ」歌会 作品集

題詠 『川、河 またはそこから派生した歌』


第一席 
(八票)
ひと条のひかりを刷ける川をさす明治の祖父の杖のにぶいろ      I.I.

毛筆で刷けたような明るい光を孕んだ川が蛇行しながら流れている、それを指す祖父の使い込んだ杖。その美しい光景や光と鈍色との視覚や質感の対比の絶妙さに多くの読者が好感を示し、圧倒的な票を獲得して文句なしの第一席。


第二席
(四票)
せせらぎに そろりそろりとふみ出すと くるったリズムに光跳び散る     Tsu.H.

作者の説明: 「夏に家族でVaucluseに行った時、流れる川の水が震えるほどに冷たく、そーっと足をいれました。夏の太陽は強く照っていて、川に光が反射しています。足を入れると川の流れが乱されて、それと共に川面に反射している光線もあちこちに飛び散り、それはそれは綺麗でした。」
 さらさら、生き生きとした感じが良い、という意見が多かったのに対し、瞬間的な情景や動きはあるものの、感情がないため詠み手がそこに見えてこないのが残念、という声も。また、上の句の後半「ふみ出すと」が説明調でない方が良かったのでは、というコメントもあった。

第三席
(三票)
渓谷の流れ勢い 岩岩に砕けて踊る 白のシンホニー   S.H.

作者の解説:「アン川の源泉を訪れ其の流れに沿って下ったときの渓谷に見とれたときの光景が目に浮かびます。」
 岩という字を二つ重ねることで、ごつごつした感じがよく現れているし、白のシンホニーというのも、音符が一緒に弾けているようで軽やかで良い。躍動感があり、ダイナミック、砕け散る川の水が白く跳びちる様子が迫ってくるようだ。 一方で、「シンホニー」は「シンフォニー」とした方が自然では、という意見、字面があまり良くないのでは、等の意見も。


このためと こころ一つの あらそひは ゆらりローヌで むりやり解かし 
     N.M.

作者の解説:「父とは母,所詮他人の違う文化や生活習慣や性格を持った赤の他人であるが,一つのこと(ここでは子供)の為を思って,お互い「罵り合い」争うこともある。
 しかしながら,それは,子の健康や立派にたくましく育ってほしいと願う思いからの真剣なぶつかり合いであり,その心は純粋なものである。
 日本には,水に流すというすばらしい言葉があるが,ローヌ川のゆったりとした流れで,無理やりにでも解かさなければ,結婚生活はやっていけない。と思っています。」
 ひらがなをうまくつかって、ともすれば刺々しい印象を与えかねない単語をやさしく詠んだ歌。「解かし」はいさかいや問題を解決する意味合いがあるため、「溶」ではなく「解」の字が使われているのだということ。上の句の頭文字の「こ」を「子」と読むか、そのまま「このことのために」と読むかで歌の印象が全く変わるところも秀逸。

左岸より右岸にわたり右岸より左岸にもどるビルアケム橋      H.T.

 シンプルな表現の中にもそこに橋の佇まいやその橋を往来する作者の日常が垣間見えるようで良い、歌のリズムがとても良いと、好感を持った読者が多かった。ただ、感情がそこに見えないのが残念という意見も。


第四席
(二票)
子供らの唄に溢れし涙川(なみだがわ)祈りの中を揺蕩う(たゆとう)ていく    V.R.

 再生展のクロージングコンサートでの子供たちの歌を聴いたときのことを作者は詠んだのだという。鎮魂的なセレモニーであったが為に、尚のこと子供たちの穢れのない歌声が胸を打つ。ゆらゆら動いていくという意味で使われている「揺蕩う」という言葉も美しい。

春の日に威風堂々ローヌ河水鳥遊ばせ海にご帰還    Te.H.

作者の解説:「レマン湖に注ぐ前は白濁した細い急流のローヌも、リヨンを過ぎ、大分下ると、川幅が広がり実に雄大な流れとなりますね。見る度にその移動する軍艦のような雄大さに打たれます。」
 どんどんと大きく膨らみながら、そしてそれでいて優しく水鳥をその懐で遊ばせながら、海へと続くローヌ河の雄大さが良く現れていて良い、という意見の一方で、川は海に「行く」訳で、「帰る」というのは違うのでは、と言う声も。また、「威風堂々」や「ご帰還」の「ご」が強すぎる感がある、という意見もあった。


宮川の水面の下枝愛おしく渡り 通い し日曜学校   Z.T.

 「宮川」は高山を流れいずれ神通川になるという、作者が教会の日曜学校に通っていた頃、その川の上に架かる橋を行き来していたという少女時代に慣れ親しんだ川。モンゴメリの「赤毛のアン」のように情緒的、少女達が優しく沿道の木の枝が川面に架かる陽光の川縁を走っていくような情景が目に浮かぶ、等、女性読者から好評を得た。一方で、「愛おしく」がストレートすぎて少々ひっかかったという声もあった。


水脈(みを)絶へぬセーヌまばゆし「約束」にふたり鍵かけ渡る芸術橋(ポンデザー)      M.M.
 
 セーヌ川にかかる芸術橋に、どんな「約束」にふたりは鍵をかけてきたのか。水脈という字から情熱が感じられると言う声があったが、作者は「航路」という意味合いで使ったということ。題材が面白く、美しい歌だが、いささか言葉や説明が多すぎるという意見も。「何故、芸術橋に鍵?」と、その関係性がわからなかったために、歌の良さがわからなかった読者も多かった。
 ちなみに、パリの芸術橋の鉄格子の欄干には「2人の愛が鍵をかけたようにいつまでも続くように」という意味合いのたくさんの南京錠がかかっており、最近は結婚のセレモニーの後にこの橋へ南京錠をかけに行くことが、パリのカップルの流行のようだ。が、この「愛の鍵かけcadenas d'amour 」の始まりは2010年前後とまだ日が浅く、パリ市は「遺産保護の観点から、好ましくない」とし、鍵の撤去を検討しているらしい。(フランス語Wikipedia「cadenas d'amour」参照)


第五席
(一票)
豊かなる男川(おとがわ)女川(おながわ)育みし半島「孤島になる」と駄々こね        I.M.

 リヨンに暮らすものならば連想がつく男川=ローヌ河、女川=ソーヌ川、そして半島はPresqu'île(リヨン中心)。上の句は良いが、下の句が音的にも表現的にも少し無理があったのでは、という意見が出た。そもそも「Presqu'île」は日本語にするのであれば、正確には「半島」ではなく「中州」であるが、作者は、あえてフランス語で「ほとんど島」を意味する「Presqu'île」に語源が近い「半島」と表現することで、いつしか完全なる島になるという身分不相応な夢を見る擬人化した「Presqu'île」を歌ったのだが、読者の理解を得ることができなかった。


ローヌ河 橋の上から 眺めれば 濁った河面 白鳥の群れ    Y.K.
 
作者の解説:「私の記憶では、白鳥がローヌ、ソーヌに戯れているのはここ十数年ぐらいだと思います。
以前は春雨の後の濁流は上流からの流木などだけでしたが、最近は白鳥の群れが早い流れにもかかわらず
戯れているのが見られ、心がなごみます。アンヌシーの光景も思い出されます。黒に近い灰色と明るい白の色との対比も目を引きました。 」
 濁った河と白鳥の色彩の対比が印象的ではあるが、説明しすぎていてあまり想像を掻き立てるところがなかったのが残念。上の句の終わりの「眺めれば」もわざわざ書かずとも、下の句を読むことで眺めていることがわかるのだから、むしろ白鳥の群れがどんな情景だったのか等を歌った方が歌に深みが出たのでは、という声があった。


佳作
川面にはゆれる満月 ラディオからslave to loveとFerry 囁き

作者の補足:「Ferry;Bryan Ferry(ブライアン・フェリー), イギリスのグラムロックバンドRoxy Musicのボーカル」
 上の句前半と、ラディオ...以降の流れが良く、個性的な歌。お洒落という意見もあったが、FerryをBryan Ferryと理解できた読者は少なく、うまく歌に感情移入ができなかったようだ。

産卵に 河を登りて 命散る 鮭の生態 あわれとぞ思う 
             

 作者はアラスカ鮭が故郷の川の激流を産卵の為に上っていき、産卵後しに行く様をドキュメンタリーで目にし、「なぜそこまでするのだろう」と胸を打たれ、それを歌にしたのだという。
 下の句で「あわれとぞ思う」と、一番この歌で言いたいことをあえて表現せずに、読者に想像させた方が良かったのでは、という声があった。また、鮭が河を「のぼる」は「上る」であろうという指摘もあったが、作者は激流を上がっていく様子が、まるで「よじ登る」ようであったことから、敢えて「登」の字を使ったということ。
 この歌に限らないが、「リズムを取るためだけの一字空けは避け、歌の効果を狙って『ここぞ!』というときのみ空けるべき」という意見がでた。

自由歌

第一席 
(六票)
追悼の南部牛追唄を聴くわれら異邦の民として生く       H.T.

 シンプルなことをうたっている歌ではあるが、南部牛追唄という印象的な固有名詞に惹かれた、という読者が多かった。上の句と上の句と違うことを歌っているのが対照的でかつ効果的。作者はパリで行われたこの3月で2年を迎えた東日本大震災犠牲者の追悼式典にて、この唄を聴いたのだという。「震災時に日本で過ごさなかった日本人には、罪悪感のようなものがあって、そういうものも抱えながら異国の地で生きていく、と意志を見たよう」という読者もいたが、作者自身は震災時は日本在であった。


第二席
(五票)
彼方よりふと戻り来て涼しげに「伊勢物語」語る義父(ちち)おり      Z.T.

 「伊勢物語」をキーワードに、浮気をして戻った義父がしれっと自分の恋物語を語っている様子、軽薄な感じ、原節子の世界と評した読者も。実際は、昔は教養も有り知識人であったが、近頃では衰えて訳のわからないことを口にするようになった義父が、久しぶりにしっかりと手続き的な会話もできた日のことを作者は詠んだのだという。「伊勢物語」はその昔作者が、フランス人である義父から突然「伊勢物語」の話を持ち出された、彼の教養の高さに感銘したことがあったので、「教養溢れていた頃の義父」というメタファー的に使用したのだとのこと。


第三席
(三票)
暗き道 とぼとぼ行けど まだつかず ため息漏れる 星空の下           Y.K.

作者の解説:「ガイドの仕事で、遅くなり交通機関がなくなり、疲れた体を、町の中心部から、ビルバンヌの我が家へ1時、2時、ごろ歩いているところです。幸いに星が出ています。疲れたーという心です。」
 「自分も同じような体験をしたことがある」と共感からの票もあったが、人生を譬えているように読めばまた深い味わいも。4、50年前のマンガのようなレトロ感のある歌。


さくらさくら咲くさくら咲くうす紅の光の中で笑み重なりて          M.M.

 「さくら」の音の繰り返しが印象的で、最後に「重なりて」と、音の「桜の花」と「笑み」を重ならせたところも巧妙。作者は、桜の花に心を救われたときのことを歌ったそうで、「笑み」は花を見る者の笑みと「花が咲く」様子をかけたのだという。一方で、リピートが若干多すぎたのでは、という声もあった。

第四席
(二票) 
飽くるまで路面電車が行き来るを見る子待つ母笑うフォシシア
;Forsythia
(注:フォシシア;Forsythia=レンギョウの花のこと)                I.M.

 のりもの好きで路面電車を飽きもせず見ている子供と、それを見守っている母と、後ろに咲く黄色のレンギョウの花。その優しい情景が思い寄越され微笑ましい。ただ、下の句の最後Forsythiaはレンギョウでよかったのではないか、そうでないと、トラムを路面電車と読ませているところとのバランスが悪いのでは、という意見もあった。 

街道を 越えるミミズに 我重ね 先の大地の ポールボキューズ
    N.M.

作者の解説:ポールボキューズとは,「おいしい食事」であり,「テーマパーク」であり,「ボキューズ大天使様の満面の笑顔」であらわされるように,「楽園の象徴」である(最近の噂の中には,あまり良くないものもあるようですが)。
雨の日,テットドール公園を歩くと,一直線に,道を渡る多くのミミズに遭遇する。
 彼らのほとんどは,横道にはそれず,這い出てきた芝生の大地から一直線に,反対側の芝生へ向かう。
 恐らく,彼らは,向こう側の大地にどんな困難が待っているかわからないはずだが,住み慣れた故郷から,途中で死んでしまう危険性もかえりみず,勇気を持って這い出し,新しい楽園に向けて出発したのである。
 ミミズは,私たちに勇気を持つことの重要さを教えてくれている(半分以上妄想です)。
少しずつ美味しいフランス料理を食べに行っていずれはポールボキューズに行きたいという気持ちを歌ったものであろう、下の句の「先の大地のポールボキューズ」が面白い、というのが共通の好意的な意見であったが、「それでもミミズに自分を重ねるとは、いささか自虐的過ぎなのでは」との声も多かった。

風まとう君の前髪ほおをなで とまどうひとみに時は止まれり      M.Y.

Ts.H.さんから頂いたメールでの評:二人はとても近くに向かい合っていて、彼女の前髪がさっと吹いてきた風に吹かれて彼の頬を撫でる(と解釈して見ましたが)。その時に彼女が彼とあまりに近い距離にいることに気づき戸惑っている…その様子が初々しくロマンチックに感じました。
 コマーシャルのコピーライトのように美しい情景が想像できる歌であるが、 きれいにまとめすぎで若干面白みにかけるという声も。


子供らのつどいてあそぶ飯事(ままごと)のちちははだれよ再婚なれば
     I.I.

 子供たちを親達の目から見つめた描写。かつては、パパ役がいてママ役がいて子供役がいて、という一辺通りなはずだった飯事も、離婚した片親に育てられる子、再婚家庭で自分と片親が異なる兄弟姉妹と暮らす子等、様々な家族構成が存在するフランス現代社会では複雑化してしまう。単純に今の時代、誰が誰だかわからないという感じが良い、現代社会絵を見ているようだ、等の好評を博した。


春の月、寝そべり上向く顔に似て あしたも会おうね、と約束す      Tsu.H.

作者の解説: 久しぶりに春らしい一日の夕方、窓を閉めようと空を見たら、ちょうど花王石鹸の宣伝のような(古くてすみません^_^;)月が、つんと上を向いていて悠々とした趣でした。何となく踏ん反り返っているみたいで、おかしかったです。その顔に向かって、明日も晴れますように、とお願いしてみた時の歌です。
 月を歌いながら、自分の相手を思っているような、そんな二通りの楽しみ方ができる歌。月の様な美女の顔が浮かんだ、また彼女に会いたいという思いを歌っていると、男性陣からの票を得た。


第五席
(一票)
憂さありてオーケストラに心舞わず積み残されしわれ闇に沈む     Te.H.

作者の解説: 心に屈託をかかえたままコンサートに行くと、中々音楽に乗り切れず、気がつくと自分の屈託の中をとつおいつしている自分を見出すことがたまにあります。
 「憂さ」や「積み残され」「闇に沈む」等、言葉に若干ネガティブが過ぎ、あまり票を得ることができなかった。


旅に出で 移りし風景 眺むれば 人生旅路に 思いをはせる             G.N.

 淡々さが秀逸、という評価もあったが、風景の描写など具体性に欠けていたがために、心に迫ってくるものがいまひとつなかったのが残念。

佳作
まだだ寒し 桜の蕾もほころばず 花の姿をまぶたに描く
    
作者解説:来週(4月2週目)には花が咲き出すかもしれませんが、、、。今朝も霜が降りたので蕾が凍ってしまったのではないかと心配ですが、、、。
 下の句のまぶたに描く、という表現が美しい。出だしの「まだだ」は「まだ」か「未だ」の誤りでは?という声が数名から出た。

寄す波のサイバースペースうねりては「末の松山」容易く(たやすく)越せし

「末の松山」が百人一首の「ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは」のから来ていることは見当がついた読者は多かったものの、上の句の「サイバースペース」の理解に苦しみ、歌に共感を得ることができなかった。作者の意図した「サイバースペース」とは顔が見えないネット上でのコミュニケーションのこと。普段の生活では越えるはずのない波も、「サイバースペース」では、絶対に波が越えることがないはずの末の松山まで簡単に越えてしまうという歌の本意を知り、一同納得。


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I.M.さん、読み応えある報告をありがとうございました。お疲れさまでした。


M.M.
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by tankalyon | 2013-05-26 18:51 | 歌会報告