リヨン日本人会短歌クラブ
by リヲンのつばさ
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第5回歌会の報告(2012年11月5日)

みなさま、こんにちは。

11月の歌会の報告です。

以下は11月歌会の司会・世話役を務められました石田さんに執筆頂きました。



二〇一二年十一月五日「リヲンのつばさ」歌会作品集

【 題詠:色 】

題詠の「色」は難しかったという声があった。古代から詠われてきたように、わたしたちは様々な色に囲まれて生活しているが、それぞれの色(または事物のもつ色)はそのニュアンスにより感覚・感情などを間接的に象徴している。では今回の歌会に提出された歌にはどのような色、彩に、どのような心がこめられたのだろう。

第一席
二票
 信号の緑を青と言うわけを子と探しおる夕暮れの道  (I.M.)

「青菜」という言い方からもわかるように、東洋では昔から「青」で緑色をも表すという伝統があり、「碧」も緑に近い。作者は子の質問にどのように答えたのか? 同じ経験を持つ人も多いにちがいない。もちろんその答えが大切なのではなく、単純な会話のやり取りを交わす親子の夕暮れの道を急ぐ姿、そしてここに濃密な時間が流れているから、この歌に人は共感をおぼえるのだ。俵万智風という声もあった。優しい日常的なことばで親子のかけがえのないひと時を切り取っている。

 ほの蒼く舞ひし初雪十三夜あたたかき腕の中で見とれて (M.M.)

 この「蒼」は、かすかにかすんだ青なのだろうが初雪の背景になっている。「ほの蒼い」のは月もうっすら見えるブルーグレーの空から降った雪がそういう色に見えたからとのこと。「初雪」「十三夜」といった言葉に、日本的な情感があふれていて美しい。実際、十三夜に初雪が降った日に詠んだ歌だそうだ。下の句では「あたたかき腕のなか」と、寒さと温かさの対比が表現されている。愛しい人の腕の中で…、というのは常套の読み取り方だろうが、母親の腕の中でその雪の風景を驚いてみている赤ん坊、という風にも読めた。

 夕映えの 照りし茜は 終焉美 我も燃えたし 命かれぬまに  (G.N.)

一日の終わりを飾る夕陽は、それが限りある万物の終焉を示しているからこそ美しく人の心を動かす。茜色を表現する前半が美しい。その光景を前にする詠嘆の心が後半に表された。それが共感を呼ぶという声と、最後が大げさという意見に分かれた。「終焉美」という言葉にも「重い」と感じる人と、美しいと思う人の両方の意見があった。全体に抽象的過ぎる感があり、感覚としてはありふれていると言えよう。

第二席
一票 
 息止めて 深紅のヴェルニ たっぷりと ビロードの帳 冬へのプレリュード (M.Y.)

しょっぱなの「息止めて」という緊張感とリズム感、そしてあつぼったい艶やかな感じが前半に出ている。後半で、ビロードの帳という表現で、触覚的で柔らかい豊満な感覚が、全体に冬の美しいイメージを表している。楽しい透明な冬。作者はディオールのサイトから着想を得たとか。後半が八,九字と字余りなのが残念。これから逢引にでかけるのだろうか? 心の動きが入ればもっとよかったのでは?

 くちなしのゆびさきに残る君の色ブオーノブオーノとせつなきにけり (I.I.)

「ブオーノブオーノ」が意味不明という声があったが、イタリア語の「良い」という意味。船の警笛?(それってないだろ) 想像しにくいし、「美味しい」という意味とあいまって「色はサフラン?」という声も。これは失恋の歌、との作者の説明。色は香りのことで、強いくちなしの香が指先に移って残り、その香りが自分を(の)振った彼女のことを思い出させて、切ない気持ちになる、ということ。(あ~あ…)

  手の中でほんのりぬくもるグラス越し赤き色深く香りに花咲く (T.H.) 

赤ワインをグラスにそそいで両手で包み込んであたためると、しばらくして開き始めた花のように香りが立ち上る……。ひとりでいる時間の幸せ、ジャスを聴きワインを愉しむ充実した独りの時間を詠ったと言う作者。「ひとりがいいのよ」と作者。カ行の音が多いので後半発音しにくい。花咲くが華やぐなど、華という感じの方がよかったという意見も。

 なまり雲 ドンヨリ寒き 冬の色 心を覆う 雨がシトシト   (Y.K.)

秋が深まり冬になるころの暗い心を天候に託してうたっているが、あまりに紋切り型の言葉なので、逆におかしさがにじみ出ている。「シトシト」はやめて! という声。哄笑を誘う楽しい歌。「自然な重苦しい風景が素直」と投票の人も。「ドンヨリ」と「シトシト」がカタカナなので、暗いながらも明るさがあって救われた? でもこれでは発見も発展もないし、歌としては平凡。

その他の歌

 暗闇にふかくしずんで ふんわりと ぼんやりうかぶ眼のうらの色
 
言葉の意味するところをそのまま読んでいっても、「ふんわり」、「ぼんやり」、といった副詞により、作者は何が言いたいのか上手く伝わらなかった。瞑想的な別世界に浸っているらしい。作者の解説ですこし理解できたが、具象で表現されることの多い通常の歌と対照的で、抽象的で哲学的過ぎないかという声。解説にあった言葉で表現されていればわかりやすかったのではとの意見も。解説《眠りにつく前,また 瞑想をする際,眼で見るのではない 内側のずっと奥の方に沈み込んだイメージを探して深層に降りて行くと いつか水の底のように様々な風景が形のないまま現れる。形のないものが実際には「色」なのでは と思い歌にしたもの》

 
羽折れた心を染めるピアノの音(ね)煉瓦色の幸せにつつまれ 


作者のことば《先日のチッコリーニの演奏会に行った時の事です。色々あって少々疲れてしまい、参っていたのですがその心を包み込む、大きな温かい煉瓦に包まれているようなアナログの音色を聴いていると、その音色が本当に優しくて、涙が止まりませんでした》 共感を誘ういい歌で、「煉瓦色」と表現した音色に心を癒される様子が美しい。「羽折れた心」という出だしに対して、幸せという言葉が強すぎないかという声も。 

     Chapelle du Rosaire(マティス礼拝堂)にて
  光満ち海とミモザの色に染まる白いチャペルにとき放たれて 

詞書にあるように、南仏ヴァンスのチャペルにあるセラミックに描かれた作品と冬の日が満ち映しだすステンドグラスの色を詠った歌。慈悲に満ちた原色の経験で、心が清らかになるようだ。美しい色彩と光あふれる光景だが、ただ、その美しさを共感できた人が少なかった。色が多すぎで想像しにくかったのかも。

 幻のうた青に染めつばめ舞う空かそけくも今に思ほゆ 

つばめを詠いたかった作者の、それが上手くいかなかったという幻。「かそけく」や「思ほゆ」「今に」など、古語調の美しい言葉が使われて風情がある。目の前に繰り広げられる様を歌にすることと、それを詠うことの困難さを「幻」と述べることの、二つの視点の間には隔たりがありすぎるので、理解しにくい。

【 自由歌部門 】

第一席
三票

 わかれぎわ視線をからめる君の掌(て)を飛びたちし鳥わがうちに棲む (I.I.)

別れの刹那にお互いの視線が交し合った(と信じた)ものが、まるで手のひらから飛び立った鳥のように、今、自分の心の中に棲み着いてしまい、追い出すことができない、そんな恋心を詠った。想像力をかきたてるきれいな歌と。出会いから初恋にいたる気持ちの揺れか? 「からめる」が強すぎるという声も。「別れたいという願望」と読んだ人もあり、それは読者の願望が投影されて面白い?

第2席
二票
  あさの星こころ細くて あし早めメトロに向かう ふゆの坂道  (K.H.)

 秋が深まり、朝はまだ星も見えて暗い。季節の変わり目の初冬の朝の危うい日常的な不安感が素直に表現されている。かな書きの「ふゆの坂道」が美しいという声。あえてひらがなを多用して平静で平凡な日常のなかのかすかな不安感が捕らえられているのもよかった。欲を言えば重要な言葉の「こころ細くて あし早めメトロ…」のすわりがわるいのでもう一工夫がほしい。

  OuiよりもNonを初めに覚えたる吾子に己の口癖を聞く (I.M.)

「ノン」を先に覚える子供とは、自立精神が旺盛なのだろうか? あるいはフランス的?子供の観察から生まれた歌だが、子が「ノン」を覚えたのは、自分が子供に対してしばしば「ノン」といっているからだろうという、自分を振り返ってみる姿勢が素直で、この歌の貴重さとなっている。世界を観察することは誰にでもできるが、「世界はあなたを見返しているのですよ」という自分批判の眼をいれることは誰にでもできるものではない。

第3席
一票 

幼き日の 空想ごっこ 老いと共 見果てぬ夢追い 戯れ遊ぶなり (G.N.) 

歳を重ねた作者が、ふとした折に幼き日々の、遊びの姿を思い浮かべているのだろうか。年齢とともに共感をよぶ内容に違いない。老いてゆけばそれだけ幼年にかえるような部分が誰にもあるが、表現がありきたりで、直接的表現が強すぎるという声も。「老いと共」が別の言葉でもよかったか。抽象的な言葉が多く具体的な物事を詠えば共感を呼びやすいのだが。

  風誘う銀木犀の道ゆけばキリンがわれらつと見つめいて   (M.M.)

恋人(?)と一緒に歩いている公園の小道で銀木犀の存在に気づいた、その甘い香りの漂う一瞬の美しい光景が、さわやかな言葉で表現されている。後半において、歩いている人の目線から、高い空間に位置するキリンの目という視点が導入され、その転換が面白い。キリンの目は何を象徴しているのだろうか?「つと」という副詞が一瞬のまばたきをうまく表現している。

 久々の マルシェに笑顔 見つけては つい話しこむ 土曜日の朝 (M.Y.)

休暇開けの普通の生活にもどった幸せのひとこまなのだろうか、マルシェという言い方にフランス的な日常を感じるが、久しぶりの日常を取り戻すというむしろ憂うつな事柄を、逆に笑顔に転換しているように思える。なんでもない、天気、愚痴の会話にフランス生活の実感がにじむ。さて、マルシェでは何を買ったのだろうか?

 ふるさとを 思い出させる ウドンといなり 今日はもういい サンドイッチ (Y.K.)

歌としての限界に位置するこの歌だが、パロディとも取れるほど平板で愚直なこの歌、みんなで楽しくいただきました(笑)。でも同時に本気で作者の時価の苦渋も感じられてしまう。投票した人のコメント「新しく開店した某ラーメン屋に捧げたい」でまた爆。啄木は訛りを聞いてふるさとを想ったが、この作者は「ウドンといなり」だった。これは人間のかなしさにやあらん。

その他の歌

 かたくなにドイツ製品拒む義母(はは)「最後の授業」深く刻まれ
 
かつてはドイツに属した過去をもつ国境の地方、アルザスに住む義母の姿を詠っている。作者は、義母がドイツ人嫌いというわけではない、と弁明するが、歴史の傷跡が心情的なねじれた形で残っている姿か。この複雑で微妙な心境をうまく表現。有名なアルフォンス・ドーデの「最後の授業」を引用している。

  雲の下ちいさきろばが食む草にほのかにさしたるオレンジの光 

印象派の絵のような、列車の窓からの一瞬の光景を美しく描いた。夏の午後。ろばの草を食む姿が遠景ショットとして表されているが、列車から見たとすればほんの一瞬の出来事で、そのような視点があってもよかったか。何かもうすこし強いインパクトに欠けているという反応もあった。


 我をして招く苦道にさまよえど友が手繰るにこころやさしむ

年齢を経てくるにしたがって迎える世界を、重苦しくオーバーすぎる表現で詠った。しかし、後半の手繰ってくれる友への讃歌により救われる。掲出の歌は、歌会の段階では「我をして招く苦界にうらぶれど友が手繰(たぐ)るに心やさしむ」であって、「苦界にうらぶれど」とかなり強い調子だった。


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石田さん、歌のコメントありがとうございました。

今回は人数が少なかったものの、歌会は2時間かけて盛り上がりました。

さて、そのあとはほろ酔いの会です♪♫


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まずはちょっとシャーベットぽく冷えていた白ワインで乾杯!

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Y.B.さん、おにぎり美味しかったです^^。


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11月のお世話役、石田さん、お疲れ様でした。

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初参加のB.M.さん、次回もお待ちしています。


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みなさん、お忙しいところご参加いただきありがとうございました。

さて、12月の題詠は「酒(ほろ酔いをもらたすもの全般)」です。

年の瀬にどんなお酒の歌が振舞われるでしょうか。楽しみですね。


M.M.
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by tankalyon | 2012-11-13 05:35 | 歌会報告