リヨン日本人会短歌クラブ
by リヲンのつばさ
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『歌と私』 石田さんのご紹介

みなさん、こんにちは。

今回は、「リヲンのつばさ」会員紹介の第二弾としまして、予告通り、リヨン歌会の会長
である石田さんに執筆頂いた記事を掲載します。
(本人の同意を得て、お名前も掲載します)


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歌と私  石田郁男

歌との出会いはかなり古い。文学を目指して上京した頃、詩人肌の友人が岸上大作の歌集を持ってきて読んだのがきっかけだ。私にとっての文学とは、イコール小説だった。だから歌に関しては全くの無知。でも、その後、寺山修二の作品に共感を覚え、塚本邦雄、岡井隆とかいう名前を聞き知った。自分でも少し寺山節の歌を真似た記憶があるが、当時書きなぐった作品や日記は数年前に全部廃棄した。虚構性と呪術性、それに「言葉には肉体がある」という感覚(演劇性)に惹かれた。その後、フランスに来た七十四年のころに五十首ほど感傷を詠んで以来、三十五年ぶりに歌を詠む・読むというきっかけになったのは、幸綱先生のリヨンでの講演会・懇親会でした。

 ひとつだけ、今から十五年ほど前に「群像」に連載されていた随筆ですごくいい文章だなあと思っていた人が前登志夫という歌人だったことを知った時、すこし歌に対する興味をもったことがある。言葉少なく、不思議な世界を生み出すものだな、というか、見えないものを指先でなぞるようなざらざらした感覚を覚えた。

 歌をやり始めてから、上達には先人のわだちを踏みつつ多読と多作で進むべきであるとなんとなく理解できたので、この三ヶ月足らずで六百首ほど詠む。それでなんとなく入口の扉が見えてきたかもしれない。でも、どうして歌を詠むのだろう?と時々思う。

 小説との違いといえば、息が短いので、瞬間湯沸しモード。小説表現では禁忌とされるオノマトペなど、歌ではむしろ奨励されているのは面白い。でも陳腐になりやすい。また地の文と会話を分けることがないので、虚構化が難しい。でも最近はかぎ括弧で会話をいれたりしている試みもあって面白い。歌の基本は、かなり「私小説」的で、「私は、居た、見た、生きた、そして詠った」というパターン。ちょっと画家と絵の関係にも似ている。

 歌の本質に「酔い」があるが、心のどこかで「でも運転して家まで帰らなくてはいけないのよ」(すみません、これはフランスの話で、少しぐらい酒を飲んでも運転できるのです!)という自制心を保ちながら詠うのでなくては、演歌(カラオケ)の世界になる。現代は誰でもが歌人か俳人らしいから、あまりどろどろの世界や、ちまちました日常茶飯事を見せられるのも閉口する。その反面、キレイ事では物足りないし、穿鑿する隠微な楽しみも欲しい。まあ少しはお客さんへのサービス精神を持った歌を詠いたいと思う。そのあたりの「ほろ酔い加減」が難しいのだろう。

 硬直化しないためには、形式、内容、言語水準などにとらわれないいろいろな挑戦を試みるべきだとおもう。それには外国、外国語、外国人という異質のものとの交流を通じて新たな展開が生まれるかも。そのために、来年、欧州短歌の集いをもてたらいいと企画している。


石田 郁男 1952年生、フランス・リヨン在住、「心の花」会員。群像新人文学賞受賞。会社経営。【ブログ】「歌、または31の翅をもった蝶」➡http://ishidayaikkyu.blog110.fc2.com/



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石田さん、どうもありがとうございました。

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次回は私、M.M.の紹介となります・・・・・(><)。


M.M.
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by tankalyon | 2012-09-27 07:04 | リヲンのつばさ会員紹介