リヨン日本人会短歌クラブ
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『私の愛唱歌 N.S.』 

みなさん、こんにちは。

『リヲンのつばさ』の会員のみなさまをこのブログでお一人ずつ順にご紹介していきたいと思います。

第一回はN.S.さんに記事を執筆頂きました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


私の愛唱歌  N.S.


竹に降る雨むらぎもの心冴えてながく勇気を思いいしなり   佐佐木幸綱
幾山河越え去り行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅行く   若山牧水
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも    阿倍仲麻呂

 数ある愛唱歌の中でも、これらの歌は特別に愛着が深く、今でも折に触れて口ずさんでいる。
 「リヲンのつばさ」設立のきっかけを作ってくれた佐佐木幸綱の引用の歌は、信綱、治綱と続く歌の家に生まれながら歌とは何の関係もないスポーツ青年であった幸綱が、20歳の誕生日に父を亡くしたことに運命的なものを感じ、歌の世界に進むことを決意した、その時の気持ちを詠ったものと一般に解釈されている。

 そのように人生を賭けて新しい世界に旅立つ勇気は、私にはなかった。田舎の裕福ではないが堅実な公務員家庭に生まれた私は、思春期に牧水や立原道造や中原中也や萩原朔太郎やランボーやヴェルレーヌなどの詩を読みふけり、無頼のアウトサイダーとして旅に生き、旅に死ぬことにあこがれ、実際にしばしば旅行もしたが、放浪詩人として生涯を送るほどの勇気はなかった。もちろん才能もなかっただろう。おそらくは両親の深い愛情と献身的な教育のおかげで、世界を肯定的に捉える性からどうしても抜け出すことができず、結局は社会に奉仕することを生業とすることとなった。

 それでも一度だけ、勇気を出して新しい世界に旅立ったことがある、と言えるかもしれない。45歳で洗礼を受けてカトリックになったことだ。
 イエス・キリストに最初に出会ったのは、小学校に行くか行かないかの頃。母と行った夏祭りの夜、縁日で売られていた十字架を見た時、心臓を刺し貫かれるような衝撃を受けたことを鮮明に覚えている。その時湧き上がって来た感情は「何てむごい」「何と美しく輝いている」というものだ。何年かたっておもちゃ箱から出てきたその十字架は、10円で買えるようなプラスチック製のちゃちなものだったのだが。

 その後25歳でフランスに来ることとなり、初めてムース・オ・ショコラを食べた時に世の中にこんなおいしいものがあったのかと感動したが、メッスのカテドラルのステンドグラスを見た時も、世の中にこんな美しいものがあったのかと感動した。それから暇を見つけては、子供の頃に親しんだのと同じ草の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら美しい田園地帯をドライブして、古い教会を訪ねて回った。小高い丘の打ち捨てられた教会で、朽ちかけたマリア像などを見るともなしに見ながら静かに一人でたたずんでいると、何世代もの信者たちが呼吸してきたであろう湿った空気とともに、言いようのない安らぎが胸に満ち溢れて来るのを感じたものだ。

 それから何回か、文章に書くのが憚られるような神様との出会いがあったが、それに正面から向き合う勇気はなく、29歳で結婚し、やがて2人の男の子を授かり、仕事と家庭に忙殺される日々が15年ほど続いた後、やっと自分も人並みの社会人になれたかと少し気持ちに余裕が出来て来た頃、あの神様との不思議な出会いは一体何だったのだろうかと、正面から真面目に向き合って考えられるようになった。結論は、自分は神様に呼ばれているに違いない。でなければ、あの頃必要でもないフランス語をあんなに無理して勉強して生涯フランスに関わるようになった説明がつかないではないか。そう言えば、高校生時代に恋してラブレターを書いてふられた同級生の女の子もクリスチャンだったし、軟式テニス部でペアを組んだ相手の男子もそうだった。そして週に1回夕方職場から地下鉄丸ノ内線で四谷の聖イグナチオ教会の無料講座に通い、1年後に洗礼を受けた。勇気を出して人生を変えた瞬間である。

 洗礼を受ける前後に高橋たか子の作品を読みふけった。小説家の高橋和己の夫人で、自身も小説家であったたか子は、和己が早世した後フランスに渡って修道女として10年近く暮らし、現在は日本に戻ってその体験を本にしている。その本の中で印象に残っているのが、修道女の彼女が指導司祭に「自分はキリスト者になってから文学ができなくなりました」と言ったところ、「フランソワ・モーリヤックも同じことを言っている」と司祭が答えたという話。私も、洗礼を受けてから、あれ程胸ときめかせた文学に対する意欲が全く失せてしまった。

 最近の愛読書は竹下節子。彼女もフランスに暮らし、キリスト教の歴史に輩出する聖人の神秘的体験を非常に現代的、客観的、社会学的に分析していて興味深い。16世紀スペインに生きた聖人で、カルメル会の改革に力を尽くした神秘家で私の洗礼名でもある十字架の聖ヨハネの教えを、「超常現象などというものは神の表れか悪魔のささやきか人間には判断できないのだから、そんなことには心を惑わされずに日々の仕事に一生懸命励みなさい」ということだと要約していて、私の座右の銘となっている。オウム真理教を始めとして現代社会に潜む危険なカルトの誘惑と対策について分かりやすく解説した「カルトか宗教か」(文春新書)は、実際的にためになる非常に良い本である。

 文学への意欲は失せてしまったが、旅へのあこがれは今でも私につきまとっている。幸いなことに、2~3年ごとに任地ないし部署を異動することが職業上の義務となっているので、十字架の聖ヨハネの教えに従って真面目に仕事に励んでいれば、自動的に旅ができることになる。先日数えたら、生まれてから今までに20回引っ越ししていた。現在52歳だから、平均2年6か月で引っ越ししている計算である。リヨンに来てからは間もなく1年が経つ。リヨンは住みやすいし交流する人たちが例外なくいい人たちなのでとても気に入っている。しかし、良いポストでもあるのでいずれ遠くない将来下から押し出されるように異動の打診が来るはずだが、その際はきっとごねることもなく素直に新たな任地に向かうだろう。引っ越しは、掃除やアイロンかけと並んで好きな家事のうちの一つだ。

 今も暇が出来たらオーベルニュ地方に点在する古いロマネスク様式の教会を訪ねて回っているが、そういう中で一つの夢を育くんでいる。定年退職後は故郷に帰り、田舎の海辺の教会の近くに小さな家を建てて、教会の清掃や花壇の手入れなどの仕事をしながら日仏友好協会を作ってフランス人の旅行者をホームステイさせる、という夢である。しかし、どちらかと言うと都会のモダンなタイプで引っ越しが大嫌いな妻にはその夢は理解されず、そんなことを言い出そうものならきっと離婚を言い渡されるに違いない。その時、私には、泣いてすがる家族の制止を振り切って砂漠の修道院に旅立ったコプト教徒のように夢を実現する勇気は、きっとないだろう。青春時代に放浪詩人を夢見た時と同じように、夢を実現する勇気もないまま、幸綱や牧水や阿倍仲麻呂の歌に慰められながら、異郷の地で真面目な小市民としての生を全うするに違いない。


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N.S.さん、ありがとうございました。

次回は I.I.さんをご紹介します。お楽しみに。

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*写真は5月の佐佐木先生を囲む懇親会にて。


M.M.
by tankalyon | 2012-09-20 18:59 | リヲンのつばさ会員紹介